ぼくにとってはイレギュラーだけど、超規則的なトレーニングをためしてみた。
自宅の外周を走るトレーニングです。
どうぞ。
外周ランニングへの挑戦
もう、すっかり秋である。
9月にはいってから急に明け方は涼しくなり、空も高くなった。
天高く馬肥ゆる秋である。
先週は温泉街をゆるりと走るだけのごほうびを与えてしまったので、今週はすこしばかり追いこみたい。
駅伝部の学生たちは、ひたすら競技場の中を何十週も走りつづけるというじつに禁欲的なトレーニングをするらしい。
ぼくも中高生のころはよく走らされた。
それから20年近くたった今、その負荷を自らに課そうというのだ。
ドMである。
ということで、自宅の外周を走ってみた。
1周約4km、堤防と県道を走るコースである。
それを5周=20km走った結果、感じたメリットとデメリットを以下に記録しておきたい。
メリット
(1)とことんペースだけを追求できる
ふだん写真を撮ったり、史跡を散策したりと走る以外にも足を止めがちである。
が、外周を走るだけとなると、ひたすら走る以外にすることがない。
走るしかないのだ。
だから、ただペースだけを追求することができる。
逆にいうと言い訳できなくなる。
素の力が露骨に出るのだ。
今回は涼しさも手伝ってか、20kmを6分/km以内で走りきることができた。よかった。
(2)いつでも帰れる
家の周りを走るので、いつでも帰れる安心感がある。
いつも10km以上先の目的地にいくと、その先で何か故障でもしたときに、帰ってこれるか不安になることがある。
それが一切ない。
もし、有事の際に誰かから呼び出しがあっても、すぐに駆けつけることができるのだ。
とにかく自宅なので、何でもできるのである。
で、走ってみて思ったが、自宅を給水ポイントにしておけばよかった。
そうすれば、ドリンク持って走る必要もなくなる。
(3)ZONE(無我)の境地
これは100%保障されたメリットではないが、同じコースをひたすら走っていると、いつの間にか無意識に走っていることがある。
無意識=集中している状態である。
いわゆるゾーン状態である。
アスリートとしては理想的だろう。
そして、この集中している状況下では思わぬアイディアをひらめいたりする。
走ることによりその恩恵にあずかれる確率が上がるらしいが、集中しやすい状態をつくることで、さらに天からのギフトを享受しやすくなるはずだ。
デメリット
(1)いつでもギブアップしそうになる
自宅に近いことが逆にデメリットにもなる。
というのも、自宅がものすごく誘惑してくるのだ。
もう挫折してもいいよ、と。
4周目のときは危うかった。
あと1周走れば20kmだが、4周でも16kmだから、もうやめてもいいんじゃない?と、自宅が誘惑してくるのだ。
この外周ランニングには、それに打ち克つぐらいのストイックさが求められるのである。
これが意外と精神的にキツかった。
(2)無我のリスク
無我の境地に入ることが逆にデメリットになることもある。
マラソンランナーがコースを間違えてしまったという珍事を耳にすることがある。
集中しすぎるあまりに周りが見えなくなってしまうからだ。
素人でも同じようなことが起こる。
あれ?いつの間にこんなとこまで走ったっけ?ってなことがあり、われにかえった瞬間、自分でもちょっと怖くなる。
トレーニング中に自転車にひかれたりしない?
赤信号に気づいてなかったりしたらどうする?
これは走る場所にもうすこし配慮する必要がありそうだ。
(3)マンネリ
分かっていたことだが、同じコースを走り続けるせいで、過ぎ行く風景に飽きてしまう。
変化といえば、さっきの周より交通量が増えたなァとか、高架の影の位置がかわったなァとか、そういう程度ある。
あまりに単調なサイクルがつづくので、最後の方は堤防の芝生を走り出す奇行に出たりして、無理やり変化をもたせようと努めたくらいなのだ。
もともと史跡や季節の花をめぐるランニングをライフワークしていたぼくにとっては、かなり苦行であった。
あっぷりへんしょん ~外周ランニングはいざというときのトレーニングに~
外周ランニングはメリットもあるが、苦行の側面が多くあり、これを目的にしたりコンスタントにおこなうことを考えると、走ることに挫折してしまう気がする。
この修行は、月に一回程度でじゅうぶん。
いや、2ヶ月に1回でもいいくらいだ。
なので、いざというときの飛び道具として隠し持っておきたい。