今さらですが、パリ五輪の女子マラソンに触発され、衝動に駆られたので備忘のためにも記しておきたい。
パリ五輪の女子マラソン
2024年8月11日、パリオリンピックにて女子マラソンが開催された。
結果は皆さんも御存知の通り、オランダのハッサンがオリンピックレコード(2時間22分55秒!)で優勝、日本人は鈴木優花選手が6位入賞という結果だった。
選手たちが数々の記録を打ち立て、華やかなスポットライトを浴びる様は美しい。
そんな中、51位という悔しい想いをしたであろう一山麻緒選手のインタビューがひときわ印象的だったので紹介したい。
一山麻緒選手のインタビュー
順位を見るとすごく惨敗。走る前はすごく怖くて仕方がなかったけど、実際走ってみて、日本の方はもちろん、世界中の方にジャパンを応援してもらった。日本ってすごく世界中から愛されてるんだな、そんな日本を背負って走れたことが本当にうれしかった。
東京五輪から3年。苦しいことだらけで、スタートラインに立つのも怖くて、走っていても苦しくて、それでも最後まで走り切って(何なら少しずつ順位を上げて)笑顔でのゴール。
振り返ると苦しいことの方が多くて、悶々とした3年間だったけど、無事にスタートラインに立てた。走っている時は本当に苦しいんですけど、苦しいじゃなくてうれしい気持ちで走ることができて、本当に最後までありがたいなという気持ちでゴールしました。
どうやらそのインタビューで感激したのは私だけではなかったようで、多くの日本人の胸を打ったようである。
私の近況
翻って、島国の片田舎に住む私の話である。
今夏はクソ暑かったにも関わらず、体調を崩さずに過ごせたのは良かった。
しかし、度重なる
- 子どもの習い事
- ラジオ体操
- 豪雨
いや、目標が高ければ工夫して時間を作れたかもしれない。
でも、そんな気力すら芽生えてこなかったのだ。
今後の目標
「2030年のサブスリー」を目標に掲げてきたが、アキレス腱は良くならないし、パニック症の不安にも憑きまとわれたまま。
ちょっとした予定で走るのを諦めてしまうなんて、もう目標達成は無理なんじゃないか…
そんな弱い心がたびたび顔を覗かせる。
しかし、である。そんな場末のおっさんと比べるのも畏れ多いが ──
一山選手も決して優勝戦線に食い込める自信はなかったのだと思う。
それでも恐怖を乗り越えてスタートラインに立った。
そして決してベストではなくてもフィニッシュを切ることができた。
もちろんオリンピックは結果がすべてである。でも、昔から
オリンピアンとは無縁のわれわれにも通ずるところはある。
われわれは挑戦することに意義があるのだ。
そんな想いが芽生えてきて、居ても立ってもいられず、TVを消して夕ランに出かけた。
「2030年にサブスリー」と宣言したものの、実際はフルマラソンにすら復帰できるか怪しそうな近況…でも一山選手の走りを見て、言葉を聞いて、このまま逃げるほうがカッコ悪いと気づかされ、珍しく夕ラン。改めて“全俺”を背負って駆け抜けるので声援よろしくお願いします!!🙂↕️ #夕ラン #STEPN pic.twitter.com/IVG21XkzpZ
— ユーキ.アオヤンマ🐝ᴮᴾᴹ ᴿᵁᴺᴺᴱᴿ (@you_key69) 2024年8月11日
トレーニング効果はまったくない、ただの決意表明のために ──
Fix the Bits.