あっぷりノート

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大きなお世話を、小さなお世話に。

【自由研究2018】福束城址

城址ランニングの第2弾として、福束城跡をめざしました。


なんとなく自由研究の方向性が見えてきましたので、そちらも併せてどうぞ。



福束城跡の現在


出走したのは7/28(土)の朝。


台風が来る前に急いで出走しました。


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片道8km、往復16kmの道のり。


輪之内町に入ってすぐの揖斐川沿いです。


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杭瀬川沿いを南下して、


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Googleマップの示す位置にたどりつきました。



そこに広がっていた光景がこちらです。




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えっ…


何にもないやん…


本当にここにあったのか疑ってしまうレベル。



情報が少なすぎたので、あまり使いたくはありませんでしたが、伝家の宝刀Wikipediaに頼ることにしました。



Wikipediaで調べる


しかし、世の中そんなにあまくはありませんでした。


Wikipediaには「福束城」の項目がないのです。


項目を作りましょう!と提案される始末です。


なので、関連する項目から情報を少しずつつまんで拾いあつめてみました。

福束村(ふくづかむら)

丸毛兵庫頭(丸毛不心斎)が豊臣秀吉から福束城を与えられ、2万石を領する。
のち豊臣秀次から1万石の加増を受け、3万石となる。
丸毛不心斎、1595年(文禄4年)7月、豊臣秀次失脚事件に連座し、自害。
丸毛兼利が福束城城主となり、2万石を領する。
1600年(慶長5年) - 関ヶ原の戦いの前哨戦で、福束城は東軍の市橋長勝、徳永寿昌らに攻められ落城。
関ヶ原の戦い後に福束城は廃城となる。

丸毛 兼利(まるも かねとし)

本能寺の変で信長が死去した後は、豊臣秀吉の家臣となった。
小牧・長久手の戦い、九州平定、小田原征伐と歴戦し、天正17年(1589年)に美濃国福束城主となり、2万石を拝領した。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて西軍に属し、8月16日の前哨戦で、東軍の市橋長勝、徳永寿昌と戦い、敗れて居城の福束城を放棄して大垣城に逃亡する。

市橋 長利(いちはし ながとし)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃国福束城主。

市橋 長勝(いちはし ながかつ)

弘治3年(1557年)、美濃国の豪族・市橋長利の長男として誕生。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して、西軍に属した丸毛兼利の福束城を落とす武功を挙げた。

横井 時泰(よこい ときやす)

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに東軍に組し福島正則の配下に属した。福束城の丸毛兼利の家老・丸毛六兵衛に東軍につくように促したが拒否され、8月17日に徳永寿昌・市橋長勝らと福束城を攻略した。


情報が集まってきました。


これを整理していくと自由研究っぽくなるんじゃないでしょうか ──


(続く)