本を読むとき、ドッグイヤーとかマーキングとかしながら読む。
マーキングした結果をノートにまとめたりする。
せっかく読書するんだからわが身にレバレッジを利かせん、とばかりに律儀に取り組む。
ぼくもそんな律儀istの一人。
でも残念ながら生粋のめんどくさがりistでもある。
すると、どうだ。
マーキングが多すぎるとまとめるの億劫になり、そのうち読みっぱなしになってしまう。
めんどくさがりが勝ってしまう。
そこでぼくはそんな状況を打開するために、新たなる読書法を開発した。
「めん読(メンドク)」である。
その反応はしょうがない。だって人間だもの。相性はあるだろう。
しっちゃかめっちゃかで自分のペースに合わない。けど気になる章もあるし…ということで、途中から投げやりに読み進めた。
その結果、意外と読めたのがきっかけだった。
▼「めん読」した結果、それでも意外とドッグイヤーしてる
もっとちゃんと読み込んでたらあとどれだけ負担が増えたかわからない。
だから読書は怖い。人をめんどくさくする。魔物だ。
学びが多いから著者が好きになるのか、鶏か卵かわからないけど、別の著者が書くよりも好きな著者が書くほうが、マーキング箇所が多くなりがちな気がする。
その理屈だと、苦手な著者に対してはマーキング件数が減るのではないか。
だからどんな本でも「著者に興味はない。でも買っちまったからとりあえず読むか。めんどくさいけど」くらいのスタンスで臨めば、上澄みだけのあまーい汁だけをすすり飲めるんじゃないか、というのが「めん読」の萌芽であった。
▼読む姿勢もこんな感じでいい
それか木にぶら下がって読むか、どっちか。
決して著者を非難はしない。
あくまで悪いのはめんどくさがりな読者のほうですよ、というへりくだった意味もこめて「めんどくさく読書する=めん読」というネーミングにした。
かわいいでしょ、メンドク。「積ん読」と併せて愛用していただければと思う。
■めんどくさい体裁で読む
とある本を読んでいて「この書き方、なんか気にくわないな」という著者がいた。■クリティカル・リーディングとは根本的に違う
じゃあクリティカル・リーディンクとはどう違うんだって?
確かに世の中にはクリティカル・リーディングという高等テクがある。
著者の意見に対して「本当か?」「なぜ?」「この場合は?」と根拠を論理的に解きながら読む方法だ。
しかし、それはとてもロジカルで核心に迫る読書だ。「めん読」とはスタンスがぜんぜん違う。
めん読は論理性とか追及しない。だって、めんどくさいんだもん。
一方のクリティカル・リーディングは文章を正確に理解していないと、実践できない高等レベルの読書法だ。
めんどくさがりはそんなレベルを求めてはいけない。
さらっと生き血を吸って、すぐに別の標的に向かうのだ。
そう、そんなぼくじゃなければ、この「めん読」は発明できなかったはずだ。
一方、そんなぼくでも没頭してしまうことだってある。
たとえば、わが崇敬する佐藤可士和氏の著書。
▼これにもメンドクは通用するのか
一心不乱に読んでしまうおそれがある書籍に対して、めんどくささを演じられるか。心を鬼にして臨んでみたい。
でも、さすがに小説には通用しないだろうなあ。
▲積ん読中の東野圭吾シリーズ