イギリスの料理はなぜ美味しくないと云われるか?
その問いに対する解として、今日はリンボウ先生の本から2節を紹介したい。
まず、第1章より、なぜ料理がおいしくないのか ──
「目の前に、二つの皿が並んでいたら、自己否定の規則に従って、自分の好きでない方を食べなければならない」と考えるピューリタン的禁欲主義が、イギリスの食文化の発達を阻んだ
(中略)
伝統的にイギリスでは「目の前にある飲物や食べ物にある種の無関心を払うのが、行儀がよいと考えられていた」
(中略)
一方でまた、リークや玉葱を徹底的に茹でる事に関しては、それが口臭と放屁に対するおそれという、社会道徳的な意味での防衛策という意味を持っていた
(中略)
すなわち、イギリス人自身、料理への無関心ということに対する自覚はたしかにあったのだが、彼らはそれを矯正することよりも、なにか理論的に正当化することのほうに熱心だったように見える。
たしかにジェントルマンとしての美徳といわれりゃあそんな気がしなくもない。
いや、でもこの本のタイトルと矛盾してやいないか。
先生はしっかり最終章でフォローしている。
大体においてイギリス人は、食事の料理はあまりうまくないが、食後やお茶の時に食べる各種の sweets つまりお菓子類を作ることにかけては、たしかに世界に冠たる腕前を誇っている
じつは表紙にしっかりとそのことが訴求されていました。
そう、お紅茶文化だからそこに注力しているのである。
たしかに紅茶と食べるビスケットの組合せや食べ方は本当に絶妙だったようにおもう。
そしてお菓子づくりだけでなく、ビスケットの種類も豊富だった。
メインディッシュで主張せず、 アフタヌーンを楽しむ英国文化。
その辺がぼくにしっくり来たところかもしれない。
イギリス、またいつか訪れたい国である。
そして、なぜ、今日この本をピックアップしたかについては、特段意味はない。
たまたま本棚の目の前にあったから手にとっただけのことである。