帰宅するやいなや、息子がいっちょまえに「これ買って」と行ってきた。
▲ヒロ。一体2800円(税抜)。高っ!
「ヒロ」は機関車トーマスに登場する、日本生まれの機関車。
D51好きの息子は、D51がモデルになった(と思われる)ヒロがお気に入りらしい。
しかし、このトーマスの木製レールシリーズはヒロに限らずアホみたいに高い。
どう蹴散らすか、父親のウデの見せ所である。
── パパが作ってあげようか?
そんな美しきサジェスチョンに対して、息子は9割がた「いやや」と返してくる。
が、ぼくは挫けずに作る。なぜなら作れば意外と遊ぶからだ。
ということでヒロを作ろう。
(1)プラレール D51を用意します
(2)紙とペンとはさみを用意します
(3)ヒロの顔を描いて貼りつけて完成
▲さすがにちょっとこれはヒドイかも…
半笑いで息子に渡すと、予想に反して「ヒロ、すごーい」と喜んでくれた。
が、同時に二つの意味で泣けてきた。
出来が不完全である申し訳なさと、それにもかかわらず楽しんでくれてる純粋さにだ。
いつかパテでリアルな顔、作ってあげるからね。
基本、トーマスシリーズって大人が見ても不気味。
■ないものは作ればいい
息子がほしいと云ったものに対して、ぼくには決まって云うセリフがある。▲しかし、電車に顔って怖いんですけど
それともこれがキモかわいいってやつなのか。
最近じゃ「妖怪ウォッチ」のアイテムが入手困難すぎて、手作りしてしまう大人が続出していることが話題になっていた。
背水の陣としての「パパが作ってあげようか?」は、ある一定のベネフィットをもたらすらしい。
でも、いつか通用しなくなる。
オリジナルじゃなくて、みんなと一緒のがほしいという社会的欲求が芽生えるからだ。
しかしぼくはそのときが来たらこう返そうと決めている。
── 自分で作れば?
これからも人は常に工夫していかねばならない。
工夫の積み重ねが文明を形成するからだ。
よく考えたら「工夫」とは、「夫が工作してしのぐさま」が起源なのかもしれない。