2016年12月14日、TAKUROがソロデビューする。しかも全インスト曲で。
このニュースは僕に2つの衝撃をもたらした。
まず、おそってきたのは「TAKUROがソロで弾きとおすの?」「GLAYのリードギターはHISASHIでしょ?」という、なぜTAKUROなのかという疑問。
そして、次にわいてきたのが「でもTAKUROがつくるインスト曲なんてどんなメロディーを紡ぐのだろうか」「TAKUROはそれをどのように奏でるのだろうか」というGLAYのメロディメーカーとしての期待。
ドンピシャGLAY世代の僕としては、自分の五感でこの2つの衝動をたしかめねばならない使命感にかられ、Amazonの“予約注文する”ボタンを押した。
そして、届いたので聴きながら書いてます。

- アーティスト: TAKURO
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2016/12/14
- メディア: CD
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僕を育ててくれたGLAY
世代はドンピシャGLAY世代。
中1のころに『HOWEVER』がリリースされ、中2の頃にあのベストアルバム『REVIEW』が発売された。
おそらくGLAYがもっとも隆盛をきわめた時代。
思春期まっただ中に、そんなインパクトを残されたら、そりゃ人生かわります。
まさしく中二病におかされた少年が、メジャーデビューを夢見てしまうのも無理はない。
少なからず、僕がギターを続ける勇気をくれたのはGLAYでした ──
それくらいドンピシャなのだ。
しかし、それから20年もたつと、いつの間にやら僕の趣味嗜好は変遷をとげ、北欧の重低音や変則的な前衛音楽にうつつをぬかしたりするようになっている。
しらぬ間にGLAY離れしてしまっているのだ。
(申し訳ないことだが)その間、GLAYが新曲を出しても特に耳をかたむけることもなかった。
けど、今回のTAKUROソロデビューは僕の胸にささった。
千のナイフのように胸を刺してきたのだ。
この「GLAY育ち」という背景と、冒頭に述べたとおり「なぜTAKUROなのか」という疑問と、「コンポーザとしてのTAKURO」という期待があいまって、もう聴きたくてしょうがないという情況におちいったのである。
では実際に聴いてみてどうだったか?
その話をしよう。
コンポーザとしての苦悩と反動
アルバムをとおして聴いてみて、驚くのはGLAYらしさは皆無であることだ。
スピードポップでビートアウトな感じのGLAYを期待して聴くと、かなりの肩すかしをくらう。
なぜなら全編、ジャジィでブルージーに仕上がっているからだ。
ただ、それも意図があってのことだという。
(以下の引用は、ギターマガジン1月号、BARKS、ナタリーのインタビュー記事に基づいています)
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TAKUROは「お酒にあう曲を」とひかえめに表現してはいるが、その裏側にはヒットをとばしてきたコンポーザとしての苦悩がみうけられる。
なんでも、TAKUROは、ずっとこういう曲がやりたかったらしい。
もちろんお酒も大好きだが、その酒に合うジャジィな曲をやりたかったようだ。
GLAYにおいては、ヒットさせるためにキャッチーでメロディアスな曲を書かなければならない。
だから自分のやりたいことを圧し殺して、世間の求める音楽を作りつづけてきた。
感動的なほど、プロフェッショナルである。
それがようやくソロという機会をえて、はじめて自分のやりたい曲をおもてに出せるようになった。
TAKUROは自身初のソロアルバムを聴きかえして「等身大すぎて恥ずかしい」「フルヌード」だとコメントしている。
TAKUROはすべてをさらけ出すことで、コンポーザとしての幅をひろげるだろう。
それは間違いなくGLAYの楽曲へも反映される。
今作品は自他共にみとめる「売れないアルバム」らしい。
マーケットはせまいけど、好きなことに全力でそそぐ精神である。
でもこのプロジェクトで成長したTAKUROは、今後のGLAYを成長させるだろう。
売れないアルバムでも、結果的に「売れるGLAY」につながるのであれば、それはとんでもない投資なんだとおもう。
一皮むけたGLAYへ ──
これは「なぜTAKUROなのか」という疑問を解消するにはじゅうぶんすぎる答えである。
ギタリストとしての苦悩と反動
このソロプロジェクト始動には、B'zのTAK MATSUMOTO氏の後押しがものすごく大きい。
酒呑みながらTAKUROが、いつかこういうコトやりたいんだよね、と話したら、松本氏が「今やりなさい」と助言しはじまったようだ。
始動してからは、さすがはストイックなTAKURO氏。
地獄のメカニカルトレーニングなんかの教則本を買いあさり、ギターの練習に励んだという。
驚愕でもあるが、一方で妙に親近感がわいてしまう。
やっぱ、いいよね、TAKURO。
でも、時にはフレーズが浮かばないと松本氏に相談し、「こういうフレーズはどう?」とアドバイスをうけるも、「無理です、それ松本孝弘だから弾けるんです。もっと簡単にして。でも、カッコいいやつ」というやりとりもあったという。
ほほえましいでしょ。
TAKUROの音楽仲間は松本氏をはじめ、HISASHIやSUGIZOとソロ向きのリードギタリストたちがいて、少なからずギタリストとしては劣等感をかんじずにはいられない環境におかれていたと思う。
一方で、曲作りに没頭せねばならず、その傍らでギターの練習に傾注なんてできやしない。
また、この「練習」というのは、今回のプロジェクトのキーワードだろう。
そして、「勉強」というキーワードもある。
今回の楽曲たちを作るにあたり、ジャズの理論を一から勉強したし、インプロヴィゼーションもさらったらしい。
曲づくりについても、「今まではTERUが歌うことを考えて曲をつくってきたが、インストとなると曲がかけない」「ただ、いい曲を書けばいいわけじゃないということが勉強になった」と。
ギターの特性やメロディメイキングまで、曲をつくるギタリストとしての腕も上げたにちがいない。
じゃあ、GLAYでソロを弾く機会がふえるか?というと、僕はNOだとおもう。
記事をよんでいて、終始かんじたのは、TAKUROはGLAYを愛していて、リードギタリストとしてのHISASHIを尊敬しており、このプロジェクトもGLAYありき、ということである。
今までのGLAYは壊さず、ギタリストとしての己も着実に成長させる。
それは確実にGLAYな相乗効果をもたらす。
有り体だが、これからのGLAYがますますおもしろくなりそうだ。
すなわち「コンポーザとしてのTAKURO」への期待は、より大きくなるばかりである。