今年、あらたに登録された大垣市の景観遺産、3つ目の「金森吉次郎の像」を詣でてきました。
どうぞ。
「金森吉次郎の像」の在処は?
2018/1/27時点で、景観遺産マップにはまだ記載がありません。
場所は郭町、大垣城公園内にあるという噂を聞きつけ、探しにいきます。
もし明確な場所を図示できれば、当ブログが「金森吉次郎の像」の設置場所を記載した日本初のWebページになるかもしれません。
気合い入れていきましょう。
大垣城までは自宅から片道5kmなので、5km走って景観遺産を詣で、公園内で数回ウィンドスプリントを流してから、また5km帰ってこようとおもいます。
今週、平日は雪でまったく走れなかったので、10kmラン+WSでカラダをたたき起こすのにもちょうどいいです。
今朝も降ってたらどうしようと思いましたが、ところどころ雪は残っていても、
幹線道路や堤防はほぼ溶けている状況です。
大垣城につきました。
どこにあるのでしょうか。
公園内の案内図をみればすぐわかりました。
ここです。
本邦初?公開です。
#74 金森吉次郎の像
「景観遺産」の標示プレートはまだありませんが…
「金森吉次郎翁」名が刻まれているので間違いないでしょう。
像の周りには金森吉次郎の功績が刻まれていました。
遠くて読めず、また、じっとしていると寒くて凍えそうだったので、帰ってからWebで調べました。
金森吉次郎は、元治元年(1864年)大垣市で生まれ、治山治水に対して熱心に取組んでいました。明治21年(1888年)7月の揖斐川洪水の際は、大垣輪中の救済委員として、明治29年の水害の際には大垣輪中堤防委員長として、一面に浸水した大垣輪中の水防のため最前線で指揮を執り、的確な決断により災害の拡大を防止しました。
県会議員から衆議院議員に進み、政界から治水対策を推進しましたが、「治水のもとは治山にあり」として、金原明善とともに、濃尾地震で荒廃した揖斐川の水源を調査し、治山事業を興して山地を回復させました。明治改修においても、難航する用地問題の調停にあたり、事業の促進に大いに尽力すると共に、木曽川上流改修についても政府を説得し、これを実現させました。
治水に尽力された方だったようです。
また、像については、
昭和5年(1930年)10月13日享年67才で生涯を終えましたが、吉次郎の功績を讃え、嘆願書を携えた吉次郎の銅像が大垣公園に建立されました。第二次世界大戦時には金属回収のため供出されましたが、昭和29年、元の台座の上に元の姿のまま再建されました。
とのことです。
大垣公園内は雪合戦まだ積もっており、ウィンドスプリントどころではなかったので…
雪が溶けた通路を探して、2往復ほどダッシュしてから、帰路につきました。