LUNA SEAのニューアルバム、GLAYのニューシングルを買った。
LUNA SEA全員が「いつ死んでもいいように」とタイトルに「遺書、遺言」の意を冠した《A WILL》と、GLAYをして「今のGLAYはこれです」と言わしめた3曲入りシングル《DIAMOND SKIN》である。
そんな彼らの「今でしょ」の権化のような作品だからこそ、今聴きたい!と直感した。
彼らの新譜を買うのは実に13年ぶりである。
13年前と同じようにふつうに聴いても面白くないので、作曲のフレームワークの観点(聴点?)で聴いてみることにした。
さしずめ「フレームワーク鑑賞法」である。
▼LUNA SEAは「リズム」を広げる
作曲のフレームワーク「メロディ」「音色」「リズム」の中で、LUNA SEAは「リズム」、GLAYは「メロディ」を伸ばしてきてるな、ということである。Luna Sea - Metamorphosis - YouTube
▼GLAYは「メロディ」を広げる
GLAYのメロディは今回の《虹のポケット》でも採用されている大逆循環コードが多いことで知られている通り、メジャー(長調)系の曲調が多い。(逆にLUNA SEAはマイナー(短調)やサブドミナント系の曲調が多いという棲み分けがある)
▼あっぷりへんしょん ~変わらないフレームがバンドのフィロソフィー~
LUNA SEAは「リズム」フレームを拡張し、GLAYは「メロディ」フレームを伸ばしてきた。
しかしながら両者とも変えていないものがある。
それは「音色」である。
メンバーチェンジもなく、ツインギターも相変わらず役割が明確に分担されてて新曲にもかかわらず懐かしさを感じてしまう。
新しい楽器を取り入れたり、奏法を変えたりといったことはせず、むしろ同じフレームを貫くことで「らしさ」という哲学が生まれる。
永きにわたって活動を続けるバンドには音楽性以前に信念が要ることだろう。その信念に共感した者たちがSLAVE(虜)になる。
つまりフレームワークはアーティストの哲学に通ずるのだ。深いねえ。