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ジョギングで大垣市の古城を詣でる│福田城・笠縫城・長沢城・直江城・池尻城

最近、もっぱら古城ランに励んでいますが、未報告案件がたまってきたので一気に放出したいとおもいます ^^


古城ランとは

古城ランとは

古地図を頼りに城郭も遺構も残っていない推定地を走って訪れ、往時を偲ぶ
という高尚なアクティビティです笑

今回はれっきとした参考資料を大垣市役所から入手・熟読し、走ってきたのでより信頼度が高まっていることでしょう(?)

参考資料

その参考資料というのが、大垣市発行の『大垣の城館めぐり』です。

  • 現地で直接購入
  • 郵送で注文

のいずれかの方法で購入できますが、在庫が限られているため、まずは以下の問合せ先からご確認ください。

大垣市の古城

今回は『大垣の城館めぐり』から

  • 福田城
  • 笠縫城
  • 長沢城
  • 直江城
  • 池尻城
の5城をランニングで巡ってきたのでご紹介いたします。

福田城

  • 城名 福田城(ふくたじょう)
  • 所在 岐阜県大垣市福田町
  • 城主 那波正隆・那波正信
  • 築城年代 1520年代頃(大永年間)

『美濃明細記』には以下のようにあるとのこと。

福田城は、不破郡福田村の西に城跡がある。那波和泉守正澄が信長の頃に居住し、那波和泉守正信が秀吉の頃に居住した。後に稲葉貞通に属して、曽根に移った。

ということで、城域にあったと思われる真光寺に行ってまいりました。

菅野川沿いから拝んだ屋敷跡の風景はこんな感じです。

続けて笠縫城にも訪問してきました↓

笠縫城

  • 城名 笠縫城(かさぬいじょう)
  • 所在 岐阜県大垣市笠縫町
  • 城主 不明
  • 築城年代 不明

『新撰美濃志』には以下のようにあり、場所は不確からしいです。

「古城址」は、今農家の屋敷地となりてのこる。其所地高くして形城あとの如し、城主定かならず

ですが、受圓寺付近と考えられているそうで走ってきました。

長沢城

  • 城名 長沢城(ながさわじょう)
  • 所在 岐阜県大垣市長沢町
  • 城主 氏家(常陸介)直元、種田氏
  • 築城年代 1530年代頃(天文年間)

史料にはほとんど残っていないそうで、唯一『新修大垣市史』に城主についての記載が残っている程度だそう。

試掘調査から、福乗寺から白髭神社のあたりと推定地されるそうなので走ってきました。

直江城

  • 城名 直江城(すぐえじょう)
  • 所在 岐阜県大垣市直江町
  • 城主 種田彦七郎(丸毛三郎兵衛?)
  • 築城年代 1500年代初頭(永正年間)

直江城は『美濃明細記』『美濃国諸旧記』『濃州府誌』『町村略誌』『太閤記』など多くの史料に残っているそうです。

が、書いてあることが微妙に違ったり、、市外の養老町にも直江(なおえ)があることから名将・丸毛兼利が入城したんじゃないかとかそうじゃないとかよく分からなくなってます笑

とりあえず、推定地の本覚寺八幡神社のあたりへ走ってまいりました。

池尻城


  • 城名 池尻城(いけじりじょう)
  • 所在 岐阜県大垣市池尻町
  • 城主 飯沼長就、飯沼長就、池田輝政
  • 築城年代 1532~1541年頃(天文年間)

池尻城は1900年頃の大垣輪中堤防の増強工事のため、高台は崩されて遺構はまったく残っていません。

が、そのままだと映えないので北東部にある菅野神社を目指しました。

ちなみに『美濃明細記』によると、錚々たるメンツが池尻城には関わっていたそうです。

 池尻城は土岐頼芸の家臣飯沼長就によって築かれた。長就は斎藤道三に仕え、その子長継は織田信長に仕えた。
 天正十年(1582)に本能寺の変で信長が横死すると、長継は豊臣秀吉に内応を疑われ、誘殺。
 池尻城は秀吉に接収され、後に池田輝政が城主となる。天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで輝政の父恒興が戦死すると、輝政は大垣城へ移った。一連の流れで、秀吉も一時池尻城に入城したとされる。
 輝政の移封に伴って、池尻城は廃城となった。

すごいでしょ?笑

まとめ

一見、ただの寺院・神社ランだと思われるかもしれませんが、その歴史にフォーカスすると深みが出てくるんじゃないでしょうか。

Googleマップで良いので「自分が住んでいる地域 × 城跡」で検索してみてください。

意外と近くに城が眠っていることに気づかされます。

天守をめぐる #城ラン も楽しいですが、「あれは館跡かな?」「土塁っぽいな」「堀だったのかな?」などと妄想をめぐらしながら走る古城ランも一興ですよ ^^

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