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【古城ランとは?】ジョギングで古城を詣でる(宇田城・金谷城・烏江城)


今回は最近走って訪れた岐阜県養老町にある古城をご紹介 ──

…のつもりでしたが、実は「古城ラン」には深い意味があることに気づいたので、上っ面だけじゃなく、そのエッセンシャルな部分を交えてお話ししたいと思います。


「古城ラン」とは

古城ランとは

古文書を頼りに城郭も遺構も残っていない推定地を走って訪れ、往時を偲ぶアクティビティのこと
です(どうでもいい定義)


#城ラン の一種ではありますが、天守を見上げたり、お堀を周回したりという華やかさとは無縁の武骨なランニングです <( ̄^ ̄)> エッヘン

「古城ラン」の本質

前述の通り、古城ランは「城ラン」のカテゴリーに属します。

・城ラン > 古城ラン

が、もっと俯瞰してみると

・意味ラン > 城ラン > 古城ラン

と言えます。

どういうことか?

意味なんて人それぞれ

烏江城(の推定地)

なぜなら「古城」なんて興味ない人から見れば、ただの原っぱだからです笑

見る人が見れば興奮するけど、興味ない人にとっては完全スルー。

(↓先程の階層を拡張するとこんなイメージ)

・意味ラン ┬ 城ラン ─ 古城ラン
         │
         ├ 花ラン ┬ 市の花ラン
         │       │
         │       └ 雑草ラン
         │
         └ 水ラン ┬ 湧き水ラン
                  │
                  ├ 河川ラン
                  │
                  └ 滝ラン

これは古城に限らず、すべてのものに当てはまります。

モノ自体に意味はありません。われわれが勝手に意味をつけているだけです。

「色即是空」ってやつですね笑

あなたなりの”古城”へ

ということで、他人にガン無視されるようなことにどんどん”意味”を付けていきましょう。

距離でもいいし、
タイムでもいいし、
マンホールでもいい。

人にバカにされるようなことほど希少価値があります笑

あなたなりの”古城”を目指してください ^^

以降、何の参考にもならないので閉じて頂いても結構です ^^;

私なりの”古城”の例

ここまで読んでいるということは私なりの”古城”あなたなりの”古城”がリンクしている可能性があります。

おめでとうございます!良いお友達になれそうです笑

ということで私なりの古城を巡ってきたので、紹介させてください。

宇田城

  • 城名 宇田城(うだじょう)
  • 所在 岐阜県養老郡養老町宇田
  • 城主 土岐悪五郎康貞、宇田次郎康任
  • 築城年代 1400年前後

手作り感が漂う案内板

まず訪れたのは宇田城跡です。現在は智源山大通寺となっています。

現地の案内板によると ──

応永年間(1374~1426)に墨俣城主・土岐悪五郎康貞の次男・宇田次郎康任が宇田の地に移り住み、宇田館を築城したことが始まり。

その子孫は当地に勢力を伸ばしていったとのこと。

しかし、

天文16年(1547)大桑城の美濃国守護・土岐頼芸斉藤道三が美濃から追い出した大桑合戦に土岐氏側で参戦し敗れて以後、一族が衰え、廃城となった。

そうです。

大通寺の境内には土岐悪五郎康貞・宇田次郎康任のお墓もあったらしいんですが、見落としました ^^;

金谷城

  • 城名 金谷城(かなやじょう)
  • 所在 岐阜県養老郡養老町金屋
  • 城主 伊藤修理助祐盛
  • 築城年代 1417年頃?

続いて、宇田城跡と目と鼻の先にある金谷城跡
現在の御井神社の境内から名神高速道路にかけてがかつて城域だと推定されています。

築城年代は不明ですが、

応永24年(1417年)伊藤修理助祐盛が美濃国守護・土岐持益に仕えて住んでいた

という記録があるそうです。

宇田城よりも前に築城されたようですが、その頃から土岐市の勢力が強かったことをうかがい知ることができますね。


祐盛の子、伊藤弥三郎祐定の代に応仁の乱(1467)が起こり、土岐政房に従って活躍。永正年間(1504頃)にその褒美として領地を与えられて金谷村の城に住んだ。

と記録されており、当時の地名は「金谷」だったのが今は「金屋」に変わっています。

その後、伊藤氏は関ヶ原の合戦で西軍に味方したが、西軍の敗戦もあり、金谷城は廃城となったようです。

金谷城の石碑こそありませんが、金屋川原の合戦の石碑があったり、鋳物が名産だったことから鋳物師の居住地の碑があったりと、往時を偲ぶことができます。

烏江城

  • 城名 烏江城(からすえじょう)
  • 所在 岐阜県養老郡養老町烏江
  • 城主 吹原(久内左衛門)重時善正
  • 築城年代 1472年頃?

最後は「烏江城」です。

が、場所がよくわかりません ^^;

  • 岐阜県養老郡養老町烏江にある近鉄烏江駅の南側一帯にあった説
  • 現在の杭瀬川と牧田川の合流地点より北の牧田川河川敷内にあった説
があり、牧田川の南北で微妙に位置が違うからです。

河川敷はこんなん…

…が、河川敷には入れないので前者を信じて、とりあえず烏江駅方面へ。

養老鉄道「烏江駅」

史跡っぽい目的地が欲しかったので善正寺をめざしました。

烏江・善正寺

なんでも、城主は吹原(久内左衛門)重時善正と伝えられており、善正寺の住職のご先祖にあたるらしいからです。

そんな善正寺も牧田川の堤防から眺めると、お屋敷然としていますね。

さいごに

だらだらと失礼しました ^^;

楽しかったので許してください笑


過去のログを調べてみたら、養老町の古城に訪れたのはどうやら4年半ぶりだったようです。

「根古地城」という古城を2020年6月に攻め落としていました。

皆さんもぜひ、皆さんなりの”古城”を目指して走ってみてください!


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