みんな大好き、宿場町!
中山道57番目の宿場、「垂井宿」をはしってきました。
どうぞ。
※6月17日(土)のランニング記です
となりまちジョギングのメリット
最近のジョギングは大垣市を出て、となりまちの垂井町や養老町をめぐることがおおい。
となりまちを目指すとおのずとはじめてのルートを走ることになるので、フレッシュな気持ちではしれてワクワクするのだ。
ということで今回は「行きたいところリスト」に登録したまま、まだおとずれたことのなかった垂井町にある「垂井宿」をめざします。
宿場町、とくに中山道好きにはたまらないコースのはず。
というのを土曜日の朝、いきなりおもいたって外にでた。
すると玄関を出てすぐ、富士五湖でみられるような光景が目の前にひろがっていた。
家の前の水田が映しだす、伊吹山である。
勝手に「逆さ伊吹」と名づけた。
幸先がよい。
垂井宿の入り口(東の見付)まで7.4km。
そしてそこから西端の一里塚までは1.5km。
つまり片道約9km弱のコースとなる。
これはナメてかかってはいけない。
とばしすぎないペース配分で詣でることにした。
▲毎朝走っている大谷川の堤防を北上します
美濃路の松並木
クルマでも走らないようなルートだと本当に新鮮である。
目的地にたどりつく道中でさえ、何かと発見がおおいのだ。
国道21号線をこえて、県道31号線をひたすら西にめざすと、「海なし県」にもかかわらず、海岸沿いのような風景がとびこんできた。
松並木である。
どうやら美濃路の松並木は県指定の天然記念物らしい。
まさかこんなところにも文化財がねむっていたとは。
文化財ジョガーとしてはまだまだ白帯である。
当時は、両サイドに松がしげっていたらしい。
海岸では海風をしのぐ目的と木陰で涼む目的で松が植えられるが、ここも海ではないが、風避けと避暑という同じ目的で松が植えられているのがおもしろい。
伊吹山からの強風(通称、伊吹おろし)はものすごいからね。
ちなみに美濃路とは東海道と中山道をつなぐ江戸時代にはわりと重要だった街道である。
ぼくは今そのわりと重要だった道を走っているのだ。
テンションがあがるだろう。
中山道「垂井宿」
松並木をすすんで、相川をわたると宿場町はもう目前。
▲相川です
そして、これが垂井宿の全貌だ!
この時点で、美濃路と中山道の追分(分岐点)を見逃したことに気づいたが、先はまだ長いのでもどらず突き進むことにする。
すると、いきなりの枡形(ますがた)にテンションは倍増である。
▲枡形は道を直角に2度曲げた場所で、敵の侵入を防ぐためにあるのです
平穏な江戸時代にでも、宿場町には城塞としての機能ももたせていたことがよくわかる。
そのほかにも見所はいくつかあるが、大きく3つにしぼって紹介したい。
1.西の見付
歌川広重が木曾街道(中山道)六十九次として描いたのはこの西の見付である。
この絵の風景は、現代ではこのようになっている。
大きく違うのは、広重の時代には松並木が植えられていた点だろう。
おそらく美濃路の松並木がここまで続いていたにちがいない。
まさか天然記念物が前フリなっていたなんて、すこし身震いがしてしまった。
2.垂井一里塚
西の見付をこえると、肩すかしをくらったかのようにいきなりふつうの住宅街がひろがる。
この先に一里塚があるはずなんだけどな。
本当にあるんだろうか。
JR東海道線をこえて、国道21号をわたった先にそれはあった。
▲垂井一里塚です
岐阜県には過去の形をそのまま残した一里塚が他県にくらべて多く、全国的にもめずらしいようだ。
その理由が、交通の近代化に乗り遅れたからだとか。
喜んでいいのやら…ではあるが、おかげで国の史跡として指定されている。
また、この垂井一里塚には、茶所も隣接している。
旅人のマイルストーンとなった一里塚に茶所を設置するとは、なかなか消費者心理に訴求するにふさわしいビジネスかとおもったが、この茶所はとなりまちの関ヶ原から明治のころに移築されたものらしい。
現代でも茶屋として営んでもらえれば、すこしは旧宿場が元気になるのでは、ともおもったが、今さら担い手もいないのだろう。
せめて保存だけは継続してほしいものである。
3.垂井の泉
今回の宿場町散策で個人的にいちばんきもちがよかったスポットが、ここ垂井の泉である。
「垂井」の由来にもなった泉だそうで、県の名水にも選定されている。
大きな鯉たちが優雅に泳いでおり、旅人に癒しをあたえてくれる。
湧き出る水をすくってみると、つめたくて気持ちよい。
ジョギングの小休止にはちょうどいいスポットなのである。
この泉、街道からすこしはずれた位置にあるので、見落としそうになるが、南宮神社の大鳥居をくぐって南下すればいい。
そういえば南宮大社には鳥居がなかったが、こんな遠く(1.5km先)にあったのか。