と、前にも自己紹介したことがあった。
とは云っても、今回の目的地「青墓の白鬚神社」ははじめての参拝だ。
うむ、これがホントの“初詣で” ──
というのは、さらっとスルーして白鬚神社+α を紹介していきたい。
どうぞ。
■綾野の白鬚神社
青墓の白鬚神社にむかう前に、立ち寄ろうとおもっていた神社がある。
綾野の白鬚神社だ。
いぜん息子と新幹線を拝みにきて以来、お気に入りの神社である。
まずはお気に入りの白鬚神社で日頃のお礼をする。
まだ、朝5:00だというのに、境内で打ち水をされてる方がいた。
こういう光景を目にすると、地域の人に愛されてこその神社だなあ、とほっこりしてしまう。
■#71 青墓の白鬚神社
さて、幸先よくほっこりしたところで、今回ははじめて大谷川堤防を北上する。
広大な麦畑を駆け抜け、
線路をわたり、
中山道にぶつかった先で出迎えてくれたのが ──
白鬚神社である
▲典型的な明神鳥居
たどりついて早々、気になったのは「銀弊社」の文言。
しらべてみたところ ──
元来、明治2年に全国の神社は、県社、郷社、村社に分けられました。
しかし、戦後になって、全国の神社を一律に平等に扱うことになり、この制度は廃止されました。
ところが、岐阜県においては、古川の上杉一枝氏が岐阜県の代表になられたときに、社格が一律
なのはおかしいということになり、金弊社、銀弊社、白弊社、無格社の4つに分類されました。
したがって、この制度はどうやら岐阜県だけのもののようです。
境内はこんな感じで整備されていたが、
手水舎の水がなかったのが残念である。
これが「金弊社」ではなく「銀弊社」として格付けされた所以なんじゃないか。
そんな白鬚神社が景観遺産に認定された理由をしらべたところ、雨乞い祈願や豊年踊りの「太鼓踊り」という伝統芸能を境内で味わえるというポイントが認定理由だそう。
たとい銀弊社だとしても歴とした背景があれば、景観遺産になれるのだ。
景観遺産あるあるである。
■帰路での遭遇
番外編だが、帰路でのできごとをつづって締めくくろう。
帰りに「矢道川」という川に遭遇した。
矢道川?
ピンときた方は相当に熱心なあっぷりノート読者である。
そう、御首神社をおとずれたときに出てきた「矢道」だ。
平将門の首を射落とした矢が通った道が、矢道町と名づけられているのである。
まさかここで拝めるとは。
そういえばいつしかのジョギングでは「御首道」という石碑をみつけ、また御首神社に縁があるのでは、と感激して写真におさめたこともあった。
こういう出逢いも景観遺産ジョギングならではじゃないだろうか。
ちなみに御首神社のほうは「金弊社」。なので、青墓の白鬚神社よりも位が高いとされていたらしい。
景観遺産、おもしろい。
まだまだたのしみは尽きそうにない。
■あっぷりへんしょん ~楽しみは尽きそうにないと云ったものの~
目的地までの直線距離は8km弱と、そこまで遠いという認識はなかった。
けれど、はじめて走る大谷川堤防ということもあり、やや遠回りして往復したところ ──
しらぬ間に自己最長記録を達成していた。
どおりで帰りがキツかったわけである
でも残りの景観遺産はほとんど、これ以上遠い。
ますます体力をつけるべきか、それともデュアスロンに頼るべきか、景観遺産ジョギングは人知れず正念場をむかえようとしている。