美濃国分寺も詣でた。
美濃国府も訪れた。
まだ、拝んでないのは美濃国分尼寺だ!
国分尼寺とは
走り出す前に、まず日本史のおさらいである。
国分寺とは聖武天皇が仏教で国を鎮めるため、全国への建立を命じた寺院である。
国分寺の中でも、尼さんが住むお寺を国分尼寺としている(一方のお坊さんが住むお寺は国分僧寺)。
いずれも国府(役所)のそばに建立することを指定している。
かつて、美濃国府も美濃国分寺も訪れたことはあるので、国分尼寺も近くにあるはずである。
未訪のため、調べて行ってみることにした。
美濃国分尼寺
最近、垂井町へ走りにいくのがブームです。
遮るものがほとんどなく、田園から伊吹嶺を望めるのがツボなんです。
で、突然ですが、
石碑が見えてきました。
美濃国分尼寺跡(此付近推定地)。
Wikipediaには国文化財(史跡)指定なしとあるが、
垂井町のサイトによると町からは文化財として指定されている模様。
(ちなみに美濃国分寺跡は国の重要文化財に指定)
美濃国府と美濃国分寺の間にあり、出土した瓦に美濃国分寺と同じ文様が認められたことから、かなり信頼度は高いらしいです。
ただ、未だ推定の域を脱していないので、これからの調査で、推定が確定に変わったら国の指定をうけられるかもしれませんね。
願證寺
国分尼寺の石碑を見つけたときに、ずっと気になっていたものがありました。
裏側に建てられた納骨堂です。
近くにお寺でも?
と振り返ると、ありました。立派なお寺が。
(後ほど納骨堂は威徳寺のもので、写真の願證寺とは無関係であることがわかりました)
ということで、ついでに願證寺にも立ち寄らせていただきました。
山門
本堂
山門に彫られた蓮がまじ芸術でした。
まじ卍。
図らずして国分尼寺跡よりインパクト大きくね?と思ってしまったのは内緒です。
こっちこそ、文化財。
阿弥陀寺
はっきり云って美濃国分尼寺は推定地につき、あまりパンチがないことは予測できていました。
隣接していた願證寺にめぐり逢えたのは偶然の産物で、単なるラッキーでした。
なので、もうひとつ文化財を用意していたのです。
それが、阿弥陀寺(千句の里)。
文明8年(1476)3月6日から3日間、連歌の会が催されたことから「千句の里」と呼ばれたそうです。
てっきり阿弥陀像が文化財だと思ってたのですが、開催場所としての史跡だったようです。
これは下調べが足りていませんでした。
が、御堂の戸が少し開けられており、阿弥陀像を拝めるようになっていました。
これは、お寺側の粋な計らいでしょう。
まじ卍。
あっぷりへんしょん ~垂井町ブーム到来~
大自然とロマンあふれる歴史を浴しながら走れる垂井町ランニングは本当に気持ちがいいです。
まだ路地裏ばかり走っており、走りやすい道が見つけられていないので、ランニングコースの開拓が急務ですね。