同じ発言でも、憧れなのか軽視なのかで、大きな違いがあります。
諸手をあげて喜べるよう、理想のパパ像について考えてみました。
ホントに憧れなのか?
もうすぐ6歳になる息子が誕生月なので、幼保園(保育園)で「将来何なりたいか?」とインタビューを受けたそうです。
その時の回答が、「消防団の人になりたいです!」だったそうな。
そこまでは子どもらしくて良い。
でも、「消防団に入って、会社員になって、マラソンを走るんだ」と。
──まんま、俺やん…
もしそれが“パパに憧れて”であれば、誇らしいことだと思う。
けど、それだけじゃない気がするので、反論します。
ナメられてないか?
2年くらい前(3歳頃)は、ハイパーレスキューや警察官になりたい、なんてまだ可愛げのあることを云っていた。
でも、それから彼なりに知識や見聞を広めていくなかで「これは、なかなかの苦難だぞ…」「僕には厳しいかも…」というイメージが駆逐しはじめたんだろう。
「これはパパの仕事のほうが、ラクで良さそうだ」と狡猾な考えが台頭しているような気がしてならない。
朝もゆっくり出てくし、帰ってきて子どもの世話するだけでしょ?
どうせ僕らを寝かしつけてから、スマホいじったり、PCで遊んでるんだろうし──
大げさかもしれないが、それくらいの印象を与えていてもおかしくない。
平日、パパが頑張ってる姿を見せる機会がほとんどないのだから。
頑張ってる姿を見せるべし
ということで、ふだん(特に平日)から「パパの仕事も大変なんだよ」アピールをしていきたいとおもう。
ただ、ホントに仕事を家に持って帰ってきてはいけない。
あくまで、“パフォーマンスとしての頑張り”である。
たとえば、リビングで本を山積みにして読む。とか。
親が読書家だと子も読書家になりやすいという研究結果もある。
そうアピールすることによって、
- パパも大変なんだというイメージを植えつけられる
- 子も読書家になる
- 本の内容によってはリアルに仕事やライフワークに役立つ
という3つの効果も期待できる。
幸い、わが書斎には未読の本が山積している。
明日から子どもたちを風呂に入れて、寝かしつけるまでの空き時間は、読書タイムにあてたいとおもいます。
あっぷりへんしょん~趣味も然り~
息子が「マラソンを走る」というのも同じである。
「ただ、走るだけでしょ」
と、ナメられてる可能性が高い。
なので、走ってる姿も見せなければならない。
来月の袋井クラウンメロンマラソンは家族で遠征予定なので、そのタイミングで見せられるといい。
あと、筋トレとかもいい材料かもしれない。
早く逆立ちをマスターして「ほら、頑張ったから出来るようになったんだよ」と。
できる親父は背中で語るのではなく、逆立ちで語るのだ。