(昨日の続きです)
そう、城址巡りとなると週末しか遠出できない。
ってころが自由研究っぽくないんですよね。
夏休みの宿題って本来毎日コツコツやるもんじゃないですか。
だから思いついたときは、やっぱ違うかな…って思うこともあったんですけど、試しに長松城址まで走ってみたことがきっかけで考えが変わりました。
長松城址
石碑に刻まれた文言を書き起こしてみます。
永禄元年(1558)竹中重元が揖斐郡大御堂より岩手に移る。この際竹中源助は之に従い来て三千石を領して此所に城を築いた。是れが長松城である。
戦国時代で竹中源助は豊臣秀吉に仕え各地に転戦し、太閤秀吉も長松城に来ている。
竹中源助は幾多の戦功を立て豊後国(大分県)高田城壱万石に移る。その後秀吉の家臣武光式部が五千石を封じて入場する。
慶長五年(1600)関ヶ原戦役の際、武光式部は西軍石田光成に属し此所長松城で東軍を迎え撃つ。武運つたなく8月28日桑名方面に退去するに至った。東軍一柳監物が入城して守るが戦後廃城となる。
以降西美濃の要地として使われ、末には飯沼慾斎が学問の地として住んだ。
ふむふむ、関ヶ原の戦いとも所縁があるのね。
他になにか史跡がないか、小学校の周りを一周回ってみましたが何も見つかりませんでした。
その時は漠然とそう思っただけでしたが、帰ってシャワーを浴びている時にギフトが舞い降りてきたのです。
「関ヶ原」か ──
(続く)