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読むだけですっきりわかる『サンバ』 ~後篇~

前回、「アンゴラ人の奴隷がブラジルに連れて行かれたとき、ウンビガーダ(ヘソ踊り)が禁じられていたので代わりにサンバを踊るようになった」というところまで話したね。
 
読むだけですっきりわかる『サンバ』 - あっぷりノート
~前篇~
 
今回はその続きからだよ。
 
 

・18世紀 「サンバ」という呼び名の定着

もともとはアンゴラ人たちが雇い主であるポルトガル人の目をあざむくために編み出した「サンバ」という呼び名だったんだけど、そのうち「ウンビガーダ(ヘソ踊り)」よりサンバの名称が主流になったみたいだね。
 
それがだいたい1700年のこと。
 
普及前は「ザンバ」やら「センバ」という呼称もあったようだけど、それらは方言みたいなものだと思えばいいよ。
 
いっそのこと名をォ(1700)、サンバにしよう」と覚えよう。
 
 

・19世紀 カーニバルの黎明期

サンバといえばカーニバルを連想する人も多いかもしれない。リオや浅草のサンバカーニバルなんかが有名だね。
 
ただ意外と知られていないのが、宗教とのかかわり。あまりに陽気なサンバがなかなか宗教に結びつかないんだよね。

よくよく考えるとカーニバルは「謝肉祭」だから、宗教的な意味合いがあるのは分からんでもない。謝肉祭ってのはイースター(キリストの復活祭)の40日前の間(「四旬節」という)は断食となるので、断食の前に「お肉にお別れをしよう」ということで、カトリックの白人たちが宮殿内で水や灰をかけ合うお祭り騒ぎが始まりだったんだ。
 
ラテン語で「お肉さよなら」を「carnevale」という。それが語源となってるというけど、これも諸説あるらしいね。
 
このようにもともとは白人たちのお祭りなんだ。だから今もなおフランスやイタリア、ドイツなんかでもカーニバルは恒例行事として行われているんだよ。
 
                                                  ***
 
ブラジルのカーニバルではパレードに色んな打楽器を使う。だからサンバとの相性が良かった。
 
とりわけリオでサンバが盛んなのは、ちょうどこのカーニバルが生まれた頃に、リオへ首都が移転したことが大きい。
 
当時、砂糖農園ばかりのブラジルだったけど、なんでもリオ近郊で金鉱が発見されたらしい。おかげで一気に裕福になってたくさんの人が集まったんだね。
 
サルバドールからリオ・デ・ジャネイロに遷都したのは1809年。なんと当初はポルトガルの首都もリオだったというから驚きだよね。
 
人は多く(1809)集まる、リオ遷都」だね。
 
ついでに云うと、1822年にはポルトガルから独立して、1960年に今の首都ブラジリアへ移っているよ。
 
リオが都市化するにつれて、貧困層だったアンゴラ人をはじめとする黒人たちは都心部から追い出されるようになる。そこで彼らは「エスコーラ・ジ・サンバ」という町内会のような集団をつくって作戦会議をする。ただ作戦といっても白人に武装勢力で挑もうとかそんな手荒いマネはしない。何をしたか?
 
そう、サンバを踊ったんだ。
 
1928年にはエスコーラ・ジ・サンバ同士が競い合う「デイシャ・ファール」という大会まで開催されるまでに発展するよ。
 
ちょうどその競技大会がカーニバルの時期に行われるから、カーニバル=サンバという結びつきが生まれた。しかもリオでね。
 
 

・20世紀前半 サンバの商業化

20世紀はサンバに大きなビジネスチャンスが到来した年代だ。
 
まず、音楽としてのサンバ。

1916年12月16日《ペロ・テレフォーニ》がはじめて「サンバ」を冠して市場にリリースされたんだ。この日をサンバの誕生日と云う人たちも多い。
 
一気に広く(1916)、広がるサンバ」と覚えておこう。
 
そしてカーニバルの商業化。
 
さっき云ったように町内会サンバの競技大会が催されるようになったんだけど、1935年には正式に国から認可され、一気に団体数は増えていったよ。
 
そのころから競技大会の参加者や観光客がリオを訪れるようになり、ブラジルの立派な観光産業となっていったんだ。今でもカーニバルの参加者6万人・観客8万人と、まったく衰えを感じさせないね。
 
 

・20世紀後半 進化するサンバ

順調に発展してきたサンバはとうとう新しいジャンルの礎をきずくくらいまで成長したんだ。まさに産婆のような役割だね。
 
…さあ、気を取り直して年代順に追ってみよう。
 

1950年代

ヘソ踊りに端を発したサンバだけど、そのうち踊りだけではなく歌をメインとしたサンバ・カンサォンというジャンルへ派生していったよ。
 

1960年代

サンバ・カンサォンのおかげでサンバは白人に受け入れられ始めたんだ。そんな受け入れ体勢も手伝って、サンバはジャズと巡り会ってボサノヴァが生まれたんだよ。
 

1980年代

パゴーヂというサンバが大流行。パゴーヂとは、ホームパーティに楽器を持ちよって演奏・踊る日常的なサンバのことなんだけど、きっとカラオケ感覚でみんな楽しんでたんじゃないかな。
 
聴く・演奏する・作る・聴く…という良いサイクルができたことで音楽としてのレベルがグンっと上がったんだね。
 
 

・21世紀 バブルと淘汰の時代

いつの時代も何か普及すると、次第にふつうじゃ飽き足らないという輩が生まれてくる。
 
それはサンバも一緒だ。
 
踊るための音楽が踊りにくいリズムに。つい前衛的なサンバに挑戦しちゃったりするんだよね。
 
淘汰されるともしらずに…
 
 

▼サンバの楽器

サンバはポルトガルでアンゴラ人たちが踊り始め、ブラジルに移って市民権を得てきた音楽だったんだね。
 
実はポルトガルが支配していた領土って、中南米ではブラジルだけなんだ。その証拠にブラジルだけがポルトガル語を公用語としていて、他の国はほとんどスペイン語なんだよ。
 
そんな経緯もあって「サンバはラテン音楽じゃない」なんて異論を唱える人たちもいるくらい。
 
うっかり「ルンバ」や「マンボ」「タンゴ」と同じ仲間だと思ってしまうけど、違うんだね。
 
そんな歴史的な背景もあってか、クラーベとかスルド、タンボリンやアゴゴ等、サンバは他のジャンルにはない楽器を使っていたんだよ。
 
今でこそ他のジャンルでも広く使われるようになったけど、これなんかはサンバならではの音色なんじゃないかな↓
 
この音色を耳にしたことある人も多いんじゃないかな。猿の鳴き声のように聞こえるんだけど、実は打楽器なんだよ。
 
クイーカ」という楽器で、打楽器とはいえ実際は太鼓の裏にのびる棒をこすって音を出すんだ。面白いでしょ。
 
そこが気に入って、ぼくも自作曲《SambaVerde》にクイーカをたっぷり盛り込んじゃったんだよ。
 
 

▼サンバのまとめ

サンバはブラジル発祥の音楽というよりはヨーロッパとアフリカの(しかも意外とカトリックが色濃く残った)音楽だったんだね。
 
歴史も一世紀区切りで覚えやすかったんじゃないかな。復習しておこう。
 
・15世紀     ポルトガルにてウンビガーダ(ヘソ踊り)が生まれるも、奴隷のアンゴラ人は禁止される
・1500年     ブラジルが発見される
・1700年     俗語だった「サンバ」の呼称が定着し始める
・1809年     サルバドールからリオ・デ・ジャネイロへ首都を移転
・1822年     ブラジル独立
・1916年     「ペロ・テレフォーニ」が初めてサンバの名で登録される
・1928年     サンバの競技会「デイシャ・フォール」が開催される
・1935年     正式にリオのサンバカーニバルが認められる
・1950年~    サンバ・カンサォンからボサノヴァが生まれる。パゴーチが流行する
 
最後に一言。ぼくはサンバが全然好きじゃないんだ。勉強してみて改めて感じたよ。
 
普通は興味がある分野のメッカ(聖地)に一度訪れてみたいと思うもんだけど、ポルトガルにもアンゴラにもブラジルにだって行きたいと微塵も思えなかったもんね。 
 
やっぱり行けるならフィンランドかなあ…(遠い目)